
全線通行可能となった国道6号線の走行記 前編 岩沼市~浪江町
|Posted:2015/07/20 02:24|Category : 震災被災地|
国道6号線は、東京都中央区日本橋から太平洋沿岸を北上して仙台市
に至る、全長345.5kmの国道です。
東日本大震災による地震、津波により甚大な被害を受けた地域を通る道で
すが・・・、
さらに、福島第一原子力発電所事故により放射能が拡散した地域でもあり、
二重苦・・・三重苦に見舞われたルートです。
放射能により帰還困難区域が設定され、ここを通る福島県内の一部区間は、
東日本大震災後より許可車両以外の通行が規制されていましたが、
2014年9月15日より、許可を必要とせず通行が出来る様になりました。
そこで、仙台からいわき市まで国道6号線を南下しながら走ってみました。
その様子を、2回に分けてご紹介致します。
今回は前編として、宮城県岩沼市から福島県浪江町の区間です。

宮城県岩沼市に、国道4号線と6号線が合流する交差点があります。
国道6号線の終点は仙台市ですが、岩沼市~仙台市は国道4号線との
重複区間となっています。
国道6号線の単独区間が始まる岩沼市から、南下を開始です。

阿武隈川に掛かる長い橋を渡り、亘理(わたり)町を走ります。

山元町では、新しく開通した常磐自動車道と交差します(山元IC付近)。

津波浸水区間を示す警戒標識です。
「ここから」と「ここまで」の2種類が設置され、浸水区間が分かる様に
なっています。
「過去の」とは東日本大震災の津波の事で、説得力があります。
津波警報等が発令された場合、この区間から早く退避します。

JR常磐線の高架橋を建設している様子。
津波の被害を多く受けたJR常磐線、流された電車の映像も多く報道
されました。
線路を山側へ移し、高架橋や築堤も多用して、新ルートの建設が進んで
います。

宮城県山元町から、福島県新地町に入ります~。

相馬市にある、道の駅そうまにて。
被害に遭った標識や、橋の部品等が展示されていました。

津波に耐えて1本だけ生き残った奇跡の一本松と言えば、陸前高田が
有名ですが。。。
南相馬市鹿島区にも、数万本あった松の防風林の中で、奇跡的に残った
かしまの一本松があります。
津波で何も無くなった平原に、孤独に立ち続ける一本松。
その光景を見ると、色々と考えさせられます。

岩沼から、電光表示板には「二輪車軽車両歩行者通行止」と表示されて
います。
これは、福島第一原発事故による帰還困難区域は、自動車しか通れない
という意味です。

三角の警告標識は、津波の浸水区域内を示すものです。
何も無い~雑草に覆われている更地が広がっています。
「猪と衝突」と書かれた立て看板も多く見られます。
福島第一原発事故により住民が避難して人がいなくなった為か、野生の
動物等が頻繁に出現する様になったそうです。
ペットや家畜が野生化した例もある様です。

浪江町へ入りました。写真で見ると、そこにでもある国道沿いにロードサイド
店が並ぶ風景ですが、実は国道沿いの店はどこも閉まっています・・・。
浪江町は、現在「避難指示解除準備区域」に指定され、除染、インフラ復旧、
雇用対策など復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の一日でも
早い期間を目指す区域。とされています。
要するに、まだ住民が戻れない区域なのです。

唯一開いていた、コンビニのローソンに立ち寄りました。
他の店は閉まっていて、しかもフェンスで遮断されています。
奥のガラス張りの大きな建物は「浪江町役場」ですが・・・現在、役場の機能は
二本松市へ移転しています。

国道から町内へ通じる道路は、フェンスで封鎖されています・・・。

国道114号線で少し浪江町内を走ってみました(国道6号線~常盤道:浪江
ICのみ通過可能)。
道路沿いにフェンスが並んでいるのが分かりますでしょうか?
通過出来るだけで、道路から出れない様になっています・・・。
住人は、条件付きで一時帰宅できる様ですが、基本的に無人の街です。

町内へ入れる箇所は検問所が設けられていて、警備員が常駐していました。
一時帰宅する住人や、復興事業関係者等のみ通れるのでしょう。
国道6号線を、岩沼市から浪江町まで走った様子でした。
津波の被災地を目の当たりにし、警戒標識も多く見られました。
岩手県や宮城県沿岸では大規模な復興工事が進んでいますが、福島県沿岸
では、そういった大規模な工事はあまり見掛けませんでした。
これも、福島第一原発事故により簡単に人が住めない状況が影響しているの
でしょう。
実際、避難区域である浪江町は無人の町となっていて、東日本大震災の影響が
収束していない現実を見せつけられました。
次回は更にハードになります。双葉町からいわき市へ~帰還困難区域を通過
した様子を紹介予定です。
> 経済産業省 国道6号等の通過について(PDFファイル)
> 福島県観光交流局観光交流課 かしまの一本松
に至る、全長345.5kmの国道です。
東日本大震災による地震、津波により甚大な被害を受けた地域を通る道で
すが・・・、
さらに、福島第一原子力発電所事故により放射能が拡散した地域でもあり、
二重苦・・・三重苦に見舞われたルートです。
放射能により帰還困難区域が設定され、ここを通る福島県内の一部区間は、
東日本大震災後より許可車両以外の通行が規制されていましたが、
2014年9月15日より、許可を必要とせず通行が出来る様になりました。
そこで、仙台からいわき市まで国道6号線を南下しながら走ってみました。
その様子を、2回に分けてご紹介致します。
今回は前編として、宮城県岩沼市から福島県浪江町の区間です。

宮城県岩沼市に、国道4号線と6号線が合流する交差点があります。
国道6号線の終点は仙台市ですが、岩沼市~仙台市は国道4号線との
重複区間となっています。
国道6号線の単独区間が始まる岩沼市から、南下を開始です。

阿武隈川に掛かる長い橋を渡り、亘理(わたり)町を走ります。

山元町では、新しく開通した常磐自動車道と交差します(山元IC付近)。

津波浸水区間を示す警戒標識です。
「ここから」と「ここまで」の2種類が設置され、浸水区間が分かる様に
なっています。
「過去の」とは東日本大震災の津波の事で、説得力があります。
津波警報等が発令された場合、この区間から早く退避します。

JR常磐線の高架橋を建設している様子。
津波の被害を多く受けたJR常磐線、流された電車の映像も多く報道
されました。
線路を山側へ移し、高架橋や築堤も多用して、新ルートの建設が進んで
います。

宮城県山元町から、福島県新地町に入ります~。

相馬市にある、道の駅そうまにて。
被害に遭った標識や、橋の部品等が展示されていました。

津波に耐えて1本だけ生き残った奇跡の一本松と言えば、陸前高田が
有名ですが。。。
南相馬市鹿島区にも、数万本あった松の防風林の中で、奇跡的に残った
かしまの一本松があります。
津波で何も無くなった平原に、孤独に立ち続ける一本松。
その光景を見ると、色々と考えさせられます。

岩沼から、電光表示板には「二輪車軽車両歩行者通行止」と表示されて
います。
これは、福島第一原発事故による帰還困難区域は、自動車しか通れない
という意味です。

三角の警告標識は、津波の浸水区域内を示すものです。
何も無い~雑草に覆われている更地が広がっています。
「猪と衝突」と書かれた立て看板も多く見られます。
福島第一原発事故により住民が避難して人がいなくなった為か、野生の
動物等が頻繁に出現する様になったそうです。
ペットや家畜が野生化した例もある様です。

浪江町へ入りました。写真で見ると、そこにでもある国道沿いにロードサイド
店が並ぶ風景ですが、実は国道沿いの店はどこも閉まっています・・・。
浪江町は、現在「避難指示解除準備区域」に指定され、除染、インフラ復旧、
雇用対策など復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の一日でも
早い期間を目指す区域。とされています。
要するに、まだ住民が戻れない区域なのです。

唯一開いていた、コンビニのローソンに立ち寄りました。
他の店は閉まっていて、しかもフェンスで遮断されています。
奥のガラス張りの大きな建物は「浪江町役場」ですが・・・現在、役場の機能は
二本松市へ移転しています。

国道から町内へ通じる道路は、フェンスで封鎖されています・・・。

国道114号線で少し浪江町内を走ってみました(国道6号線~常盤道:浪江
ICのみ通過可能)。
道路沿いにフェンスが並んでいるのが分かりますでしょうか?
通過出来るだけで、道路から出れない様になっています・・・。
住人は、条件付きで一時帰宅できる様ですが、基本的に無人の街です。

町内へ入れる箇所は検問所が設けられていて、警備員が常駐していました。
一時帰宅する住人や、復興事業関係者等のみ通れるのでしょう。
国道6号線を、岩沼市から浪江町まで走った様子でした。
津波の被災地を目の当たりにし、警戒標識も多く見られました。
岩手県や宮城県沿岸では大規模な復興工事が進んでいますが、福島県沿岸
では、そういった大規模な工事はあまり見掛けませんでした。
これも、福島第一原発事故により簡単に人が住めない状況が影響しているの
でしょう。
実際、避難区域である浪江町は無人の町となっていて、東日本大震災の影響が
収束していない現実を見せつけられました。
次回は更にハードになります。双葉町からいわき市へ~帰還困難区域を通過
した様子を紹介予定です。
> 経済産業省 国道6号等の通過について(PDFファイル)
> 福島県観光交流局観光交流課 かしまの一本松
スポンサーサイト
